49日の意味 ―目にみえないものを感じるこころー

今日の東京は風は強いですが、春を感じる良い天気です。
散歩をしていたら、道端のスミレが可愛く、でもしっかり大地に根をはって咲いていました。

昨日は、2月17日に神様のところに帰ったラッキーの49日でした。
ラッキーは本当の意味で天に上がって行きました。

このブログにも何度も書きましたが、ラッキーは私にとって、
12年間、苦楽を共にしてきた「心友」であり「家族」でした。
それは、人一人を失った悲しみでした。

正直、自分が自分でいられなくなりました。
わたし・・・どうしちゃったの?病気かな?と思うほど。

ある本にこんなことが書いてありました。

『この悲嘆は人間であれば自然なことである。特別な病気ではない。いままで暮しを共にし、生を共有してきたものが喪失したのだから、悲嘆に陥るのは人間としてあたりまえの現象である。この悲嘆のプロセスの中で、初めて「いない生活」を心の中で再構築していくことになる。心の戦争状態といってもいいだろう。』
ちょっと、固い表現だし、感じ方はそれぞれなのかもしれませんが、私は、こんな感じでした。


『喪に服すというのは、家族と死別して悲嘆の中にあるということである。
人間はひどい危機に直面すると本能的にその危機を察知して心にバリアを張る。
それはその危機にまともに対処したら自分が崩壊するかもしれないからである。』

喪に服す・・・というよりも、私は、しばらくの間、何かをする気力がありませんでした。


『だから昔の人は喪にある人をそっとしておいたのだ。7日ごとに様子を見ることはしたが、日常のことには気を遣わなくてもよいと配慮したのだ。
一生懸命心の格闘をしていることを知っているから、さらに「がんばりなさい」などという他人事のような忠告はしない。その人の胸の苦しさに耳を傾けることはあっても。』

癌で苦しんだラッキーは、自分の体を脱いで、その苦しみから解放され、今は自由に走り回っているでしょう。
その意味では、ラッキーは「楽」になりました。
後は地上に残してきた私をずっとずっと心配しているはずです。
悲しくて、悲しくて、もう一度会いたくて、触れたくて・・・・泣いてばかりいた私を。


49日の意味をいろいろ考えましたが、残されたものが「死」という事実と向き合い、受け入れ、それを次のステージに繋げていくのに必要な「時」のような気がします。
頭でわかっていても、魂でわかるようになるまで、人はぞれぞれ時間が必要です。
まだ今までの人生で一度も感じたことのなかった感情をどうしてよいのかわからず、感じているのです。
私には、この49日がそんな心の葛藤でした。

でも・・・
昨日たくさんのものを「手放し」ました。
手放したのはラッキーとの「思い出」ではなく、
失ったという「悲しみの感情」です。

本当の意味で昨日、神様のところに帰ったラッキー。

でも、ラッキーはこれからも、天国でそして私の心の中で、
いつも私と共にいてくれるでしょう。

これからは、『目には見えなくてもラッキーと共にいる「幸せ」』を感じていきます。
ラッキー、ありがとう。

今日も自分を抱きしめて
そして
心に花束を
  
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